社長日記

2020.04.03
自転車で・・。

今日は仕事で恵庭に行きました。道道46号線(江別恵庭線)を通って恵庭のお客様のお寺へと向かう時、中学時代(15歳)を思い出しました。友人N君と二人でAさんを空港で見送りする為に自転車で江別から、千歳空港まで行った事を。
確かこの道通ったなぁ・・・。

今から約24年前。Aさんが静岡県の高校に行く事は前から知っていた。ある日仲の良い友達数人と遊んでいた時、Aさんの静岡に行く日にちが決まったと事を聞き、その場にいた仲間全員で空港まで見送りに行く事になった。

数日経ち、見送りの前日。私は友人N君と、親しくしていた国語の先生(Y先生)と3人で他愛もない話をしていた時ふとある事が頭を過った。
‟大変だ・・・。お小遣いを全部使ってしまった・・。千歳空港まで切符代がかかる事を忘れていた。”
その事をN君に告げると、変な偶然で彼も忘れていて、お小遣いを使ってしまっていたらしい。そこで僕は彼に「じゃあ自転車で行こう」と告げた。波長の合う彼なので二つ返事でOKが出た。頭の中でどんな計算をしたのか覚えていないがAさんの飛行機の離陸時間が午前9時と聞いていたので朝の4時に集合場所に集まる約束をし、そのやり取りはY先生も聞いていた。

見送り当日、待てども待てどもN君は来ない。4時半になってもN君は来なかったので僕は一人で行くことに決めた。携帯電話も無い時代だったので連絡が取れない。色々考えY先生の家に行きその事を告げた。そして母親が作ってくれたおにぎり10個と水筒が入ったリュックを背負い一路空港へ向かった。時は3月、冷えた空気を切る様に自転車を走らせた。
朝の4時半なので車はほとんど走っていない。
30分経った時、後ろから車のクラクションが鳴った。濃い緑色のホンダのセダン、Y先生の車だった。車が横に止まり中からN君が出てきた。寝坊したN君はY先生の家に行き、車で僕を追いかけてもらうようお願いしたらしい。いくら教え子とはいえ朝の4時台に2回も起こされたY先生はかなりのご立腹。車の中でN君と大喧嘩したらしい。当たり前だ。
お分かり頂けると思いますが、僕は自転車ですが、彼は走るしかなかった。最初は二人でおしゃべりしながら進んでいたが2時間も過ぎると二人とも無言。さらに、喋らずとも9時の離陸には間に合わない事にお互い気付いてきた。泣きそうだった。
9時半、最後の橋を渡った時、空港が見えた。見えた時二人とも本当に泣いた。あの気持ちは伝える事が出来ません。
疲れ+情けなさ+目的地に着いた事の達成感 と色んな感情が混ざり結果として涙が出てきました。
空港に着くと自転車を放り投げ、走って建物内に入った。3月だがまだ寒かったので人々は冬物のコート。。それに対し僕たち二人は汗だくでTシャツ姿。事情を知らない人から見ると異常な状態の中学生でしかない。更に、空港を利用した事の無い僕たちはどこに行けば良いのかも分からなかった。そもそも離陸の時間を過ぎているので居るわけも無い。あせりながら空港スタッフに静岡空港行き飛行機を訪ねたが、その当時静岡空港なんてものはまだ無かったので空港スタッフもあきれ顔。途方に暮れた時だった、向こうにAさんと友人の姿が見えた。急いでみんなの所に行き事情を聞くと、僕たち二人が来てないことを知ったAさんが飛行機を一本遅らせてくれていたのだ。また泣いた・・。
無事見送りを済ませ、家路へと急いだ。家に着いたのが夕方5時。帰宅後なんとN君と公園でバスケットをして遊んだ。やはり若い時の体力は無限だ。その日の夜お風呂に入る時おしりに激痛が走った。鏡でお尻を見るとお尻に自転車のサドルの形の真っ赤な痕が残っていた。

あれから24年。N君との友情は今でも続いている。Y先生とも連絡はとっていて、今は校長先生に出世したらしい。

そんな事を思いながら運転しお客様のお寺に着きました。さあ頑張って子どもチャリティーの説明をしよう!
それでは

あみだ堂 能呂慎太郎

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